プロジェクトによせて
産業化の歩みを速める日本の農業。
しかし、戦略経営の時代になればなるほど、問われるのは「正しさ」ではなく、「好き嫌い」なのではないだろうか。
極私的で偏ったこだわりの中にこそ、知性が潜んでいる。
その人はいかにその技術や技能を身につけて、どんな風にものづくりをするのか。
その人は何を美しいと思っているのか。
じっくり尋ねてみることにする。
久松達央
「久松達央のMake Our Garden Grow」は、農業をひとつの切り口として、人の生活や営み、そこから染み出す文化を探っていくプロジェクトです。
文化<culure>の語源を遡ると、ラテン語の<colere>に辿り着きます。「栽培する・耕す」という意味に加え、<colere>には「崇める・敬う」という意味も含まれている所以は、「耕す」のが大地だけではなく、心も対象であるからだ、という言説もあるようです。
“Make Our Garden Grow”というタイトルは、啓蒙主義を代表するフランス人、ヴォルテールが記した『カンディード、あるいは楽天主義説(Candide, ou l'Optimisme)』を元に、20世紀の偉大な音楽家であるレナード・バーンスタインが作曲したミュージカル (もしくはオペラ)のフィナーレで歌われるナンバー。あらゆる世界の不条理と災厄、苦難を経た主人公カンディードが妻と全員と歌い上げるのは「理想とする世界など存在しない、だから私たちは私たちの家を建て薪を割り、庭を耕し育てよう」という強いメッセージです。
現代に生きる私たちは、ともすると氾濫する情報の渦に飲まれ、時に盲信し、時に目を閉じ耳を塞ぎ、安直にラベリングされた「商品」を購入し摂取してしまいがちです。時には作る側、生み出す側自身が自らにレッテルを貼り、カテゴライズし、「自分たちは何者か」を定義づけようとします。インターネットとスマートフォンによりマーケティングという行為が「民主化」された結果、あたかも「他と違う」ということが正しく強い性質であると錯覚したかのようなキャッチコピーが親指の先に繰り広げられています。
久松は、「問われるのは『正しさ』ではなく『好きか嫌いか』」という問題提起のもと、「極私的で偏ったこだわり」「その人は何を美しいと思うか」を知りたいとしています。他者との比較から構成されるラベルでもカテゴリーでもありません。
なぜその人はそれが好きなのか、その人が大切にしていることはなにか、ただそれだけ。その人の言葉に耳を傾け、行動を観察し、うみだされるものを観て、味わう。議論し、学び、ともに考える。対話し、耕しあうことが、多様な世界にあって私たちが私たちである理由と言えるかもしれません。
Make Our Garden Grow。久松達央を導き手として、ひとりひとりの「私たち」が、自らの「庭」を耕す旅に誘います。長く終わりのない旅であるからこそ、ゆっくりと、時に立ち止まりながら、深く味わえるものであれたらと願っています。